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鳥越裕介

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現在は福岡ソフトバンクホークス二軍監督。

目次

[編集] 来歴・人物

大分県立臼杵高等学校を経て明治大学に入学。明大時代は3番ショートとして活躍し、全日本メンバーにも選ばれる。リーグ通算67試合出場、248打数68安打、打率.274、8本塁打、31打点。

[編集] 中日時代

1993年ドラフトにおいて中日ドラゴンズを逆指名、ドラフト2位で中日に入団。当初は大学全日本メンバーであり、身長189cmという大柄な体格から「大型内野手」として期待され、当時の高木守道監督からは「長打が打てて守れる2番ショート」の方針を打ち出された(10.8決戦でもチームリーダー立浪和義が負傷して途中退場し代走~ショートの守備に就く)。

身長を生かした守備では存在感を示し、若手時代には難があったスローイングも改善。1996年からは益田大介と1・2番を組んでレギュラーとして活躍。1997年には遊撃手のポジションで守備率.997の日本記録を樹立している。11月に巨額の脱税が明らかになり在宅起訴され(プロ野球脱税事件)、翌年の1998年1月に有罪判決を受ける。

1998年 プロ野球脱税事件の出場停止処分のために開幕から4週間は二軍を含めて試合に出られなかった。処分解除後も、内野ポジションには阪神から移籍してきた久慈照嘉や、当時絶好調だった李鍾範、更にロッテから移籍の南渕時高がおり、出場機会が激減する。

1999年には、遊撃手(当時)の福留孝介が入団し、他のポジションにも久慈やレオ・ゴメスらが付いていたため、シーズン途中に河野亮とのトレードで福岡ダイエーホークスに移籍する。星野仙一監督が「レギュラーとして使うこと」を条件にトレード話を呑んだことは、明治大学の先輩としての最後の愛情だったとも考えられている。星野はトレード前、ダイエーの小川一夫編成部長を通じて王貞治監督に「鳥越を出してもいいですけど、鳥越はダイエーの二軍選手より打てませんよ」とメッセージを送っている。

[編集] ダイエー・ソフトバンク時代

ダイエーに移籍した後はその守備が王監督から高く評価され、一軍に定着。移籍初年度である1999年の10月には、自身初の一試合2本塁打を放っている。2000年シーズン当初は、浜名千広の怪我や柳田聖人の不振によりセカンドのポジションが開き、5月まで打率が3割を超えるなど打撃好調だった鳥越はセカンドの定位置を獲得したが、ショートのレギュラーだった井口忠仁が夏場に戦線を離脱したため、以降は本職のショートのレギュラーとして出場。同年9月1日の5連敗と優勝争い脱落の危機の中、迎えたオリックス戦では逆転本塁打を放ち連敗を止めた。以降チームは9連勝し、マジックを点灯させる。また9月30日の近鉄戦ではサヨナラ安打を放つなど、優勝争いを繰り広げたチームの中で貴重な活躍を見せ、オフには球団から坊西浩嗣とともに表彰を受けた。

この年の日本シリーズでは、井口が復帰したため、再びセカンドに戻ってシリーズに全試合スタメン出場したが、シーズンオフの秋季キャンプで王監督は、ショートとしては守備の正確性に欠けていた井口をセカンドにコンバートさせ、2001年からは鳥越をショートのレギュラーとして起用すると明言、レギュラー確約を手にする。

だが2001年、オープン戦では12球団打撃ランキング4位という好成績を収めながら、シーズン開幕直後から大不振に陥り、6月からは浜名や野々垣武志らにポジションを奪われた。結果、この年一度も猛打賞が無く、シーズン通じて一度も打率を2割台に乗せることない打率.174と、身長よりも低い成績で終わってしまう。

2002年は、開幕レギュラーは獲得したものの、やはり打撃不振で川崎宗則や野々垣にポジションを譲ったが、夏場から人が変わったように打ち出して打率を6分近く上げ、王監督の信頼を再び取り戻す。

2003年は故障で出遅れたが、すぐにレギュラーに復帰。打率.212と相変わらず打撃がネックであったが、例年以上に守備では抜群の安定感を見せ、ファインプレーを連発。ファンや評論家の間でも井口との二遊間は高い評価を受けた。また、この年本人が打点を記録した試合は引き分けあっても負けることはなかった。

2004年シーズン以降、川崎がレギュラーを獲得し、控えに回ることが多くなったが、松中信彦や同い年で友人である種田仁の助言を受けて、種田のガニマタ風の打撃フォームに改造。体が前に突っ込む癖が改善し、得点圏打率が大幅に上昇した。しかし本人はお立ち台で「種田みたいでカッコ悪い」と語っていた。その後ホルベルト・カブレラの外野コンバートにともない、対左投手用の二塁レギュラーとなり、本間満とポジションを争った。他のチームではベンチ、または二軍落ちとなるほどの成績であっても、常に一軍に置かれ、打てなくてもスタメン起用されることが多かった。毎年キャンプ時には、王監督が鳥越の打撃練習に付きっ切りで付き合っていたことなどから、王監督が鳥越を重宝していたことがうかがい知れる。

2005年は内野の全ポジションを守った。2006年は4月に二塁守備の際、サヨナラ負けにつながるエラーを犯してしまい、それ以降守備要員の座を森本学らに明け渡すことになってしまった。7月2日の試合で一塁を守り、2006年も内野の全守備位置についた。オールスター出場を果たした本間の活躍やルーキー本多雄一の台頭もあり、夏場までは殆どベンチスタート、そして王監督が病気療養となり森脇浩司指揮下となった8月には二軍降格となり、34試合の出場に終わったこともあって10月に引退を表明した。

[編集] 引退後

2007年度からは福岡ソフトバンクホークス二軍内野守備走塁コーチに就任した。オフの秋季キャンプからコーチとして活動している。

2009年度からはソフトバンク二軍監督に就任。

[編集] エピソード

  • 打撃は中日時代からダイエー、ソフトバンク時代に至るまで本塁打は少なかったが、印象的な場面で打つことやそのキャラクター、お立ち台での発言などでファンが多かった。毎年夏場以降に主力となった為、規定打席に到達したことは一度も無い。2000年9月1日には、彼の決勝3ランホームランで5連敗を止め、それ以後チームは連勝街道を走ったことや、2003年のシーズンでは「鳥越が打点を記録した試合は負けない」という不敗神話が出来、この年は打率が.212であったにも関わらず阪神タイガースとの日本シリーズ(2003年の日本シリーズ項目を参照)では阪神側からノーマークであったことを逆手にとってバッティングで大活躍しヒーローにも選ばれるなど鳥越が打つと変わったことが起きると言われた。
  • 妻は鈴木万美子の芸名でレースクィーン等で活躍(2001年引退)。2003年オフに結婚したが2008年7月26日に乳ガンのため34歳で死去。
  • 2005年に話題になったチームメイト・トニー・バティスタの決め台詞「チョー、ゴキゲン」などは、鳥越が吹き込んだのだろうと噂されていたが、2005年末に出演したラジオ番組内で否定。
  • 2006年8月24日発売の「Number」659に、同年7月26日対ロッテ戦(一死満塁から代打の松中信彦の犠飛でサヨナラ勝ちをした試合)でサヨナラのホームを踏んだ川崎に浣腸をしている写真が掲載された。また、歓喜の渦の中で、右臀部に腫瘍を抱えている松中に対し「喜びをあらわすのに(右臀部を)叩いてもいいか」と聞いたという。
  • 明大の6年先輩で中日時代の同僚であるNHK解説者の武田一浩が、毎回のように放送中、「打てないこと」に対して檄を飛ばしており、試合前には武田がアドバイスすることもあったと言う。
  • 引退後はホークスの二軍内野守備・走塁コーチに就任し、一軍の総合コーチに昇格した秋山幸二二軍監督から背番号71を引き継いだ。鳥越は1971年7月1日生まれで、自宅マンションの部屋番号も701であり、71番を引き継いで大喜びしていた。また、知らない電話番号から電話がかかり、それが王監督からの電話で、直々に引退勧告→コーチ就任への打診があったことも明かしており、引退記者会見でも全く悲壮感が見られず、むしろ喜びの会見と化していた。

[編集] 拝啓、星野仙一様

1999年シーズン中に移籍したダイエーで、古巣の星野中日を下して日本一を経験する。慣れ親しんだナゴヤドームでの日本一決定直後、鳥越は一人だけ中日ベンチの方を向いてガッツポーズをし、そのガッツポーズの瞬間の写真が週刊ベースボールでの引退記念インタビューの冒頭に掲載された。祝勝会ではカメラに向かって「トレードしてくれたおかげで日本一になることができました。拝啓、星野仙一様!」と、発言をし、プロ野球珍プレー・好プレー大賞でも度々取り上げられた。翌2000年、ダイエーはV2を達成したが、前年と同じように祝勝会で「これ、名古屋も映りますか?」と前置きした上で「私、二年連続、優勝することができました。ありがとうございました。拝啓、星野仙一様!イェーイ!」と、やはり同じ発言をしている。週刊ベースボールの引退記念インタビューにて、「ホークスでは『星野監督にトレードに出された』という反骨心で頑張ろうと決めていた」と語っており、星野に対する悪い印象は一切無いと言う。

[編集] ポストシーズンでの活躍

シーズン中は、守備要員としての意味合いが強い成績を残すが、プレーオフ日本シリーズといったポストシーズンでは勝負強い打撃を見せた。

2003年の日本シリーズでは「陰のMVP」と言われるほどの活躍を残し、敗退した2004年プレーオフでも、敗色濃厚だった最終戦の最終回に同点のきっかけを作る二塁打を放つなど一人奮闘し、ミスターオクトーバーの異名を取った。

[編集] 幅広い交流

[編集] 背番号

  • 411994年 - 1999年途中)
    チームの偉大な先輩である谷沢健一の背番号である。逆指名入団の鳥越への期待度が分かる。
  • 351999年 - 2000年
    ダイエー移籍後最初の背番号。トレード相手である河野亮の背番号をそのまま付けた。
  • 62001年 - 2006年
    仲の良かった先輩である湯上谷竑志の引退に伴い、契約更改で一桁背番号を希望したが、話はすぐに通った。この点でも球団の期待度が分かる。
  • 712007年 - )
    二軍内野守備走塁コーチ就任後。秋山幸二の二軍監督時代の背番号。

[編集] 年度別成績

[編集] 打撃





























1994年中日 41 307367815210193211041171.224
1995年7517815916312023981250131482.195
1996年772382033056733781783210140382.276
1997年12430826935566227216103142203632.208
1998年442927520002140010170.074
1999年 ダイエー
ソフトバンク
35 405145715102226002112131.333
2000年11534030538741104972533121220692.243
2001年6 1223583043453932741664261261852.174
2002年129385331348310341112575250290683.251
2003年1153162643156701662554181285875.212
2004年428581621301275101030160.259
2005年110158139163332040172190100315.237
2006年3443376910010000303050.243
通算:13年 105725622231266504621421657164492613771731454725.226

[編集] 守備

年度遊撃二塁三塁
試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率
1994302362414.955--
19956479146531.978-20000-
199671841831134.960--
1997109132214156.997--
199815818021.000110001.0001836001.000
19991071616.958210001.0002356001.000
200078108218834.976356784210.987102711.900
20011221933221279.977--
20021282082711370.974--
200396135217949.9752410021.0001431011.929
200411714041.00010000-2893330.933
200528253728.9697373920181.000201001.000
2006121525051.00071710.889911001.000
年度一塁外野
試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率
1995390031.000640001.000
1996-72010.667
1997-1961001.000
1998-60000-
1999-110001.000
2003-10000-
200510000--
2006460021.000-

[編集] 記録

  • 通算1000試合出場 2005年8月13日(407人目)

[編集] テーマソング(出囃子)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

鳥越裕介公認応援サイトTORIGOE'EYE


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